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2008-09-16 [長年日記]

_ ゆとり世代の人権意識

本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない

自明のことに反論するのは、そこで議論の手間をかける事で進歩の足止めをさせるだけ、

議論のための議論であり醜悪、本当に大切なことは自明であり理由があってはいけないんだそうだ。

議論なんてめんどくさくて嫌いだが、これは書く。

アホぬかせ。

権利ってのは勝ち取るものだ。

はてブで一時期やかましかったトリアージについての議論の時も思ったことだが、こういう人たちは

世界が自分に優しくしてくれるのが義務だと思ってるんじゃないか?

トリアージの時は、大規模災害等で医者が足りない状況で、最大人数を助けるためにもう助かりそうに

ない人の治療を打ち切って切り捨てるという話を聞いた学生が、かわいそうだとか人権侵害だとか

言ったそうだ。

かわいそうじゃないとは言わないが、人権侵害って何?

困ってる人を助けるのは良いことだけど、それは義務じゃないんだよ?

世間はお前のママじゃないんだけど?

世界はそもそも厳しい物であって、そこで自分の生命を維持するために戦う場所でしょ。

だからこそ人権という概念は常に補強が必要で、大事に思うなら多くの人と議論し同調者を増やし、

奪われそうになれば力尽くででも取り返してより強固な物にしていかなくちゃならないのに、

自明だから疑うなでは枯れてしまう。

こういう発想は世界にチヤホヤされて当たり前と思ってるゆとり世代ならではだと思う。

僕らが比較的人権意識がしっかりした国(問題もおおいけど)に住んでいられるのは、

たまたま生まれた地域とタイミングが良かっただけで、ちょっとずれてたらどうなってたか

わからないのを忘れてはならない。