トップ «前の日記(2006-09-27) 最新 次の日記(2006-09-29)» 編集

jFD開発したりしなかったり日誌

2004|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|
2006年
9月
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

2006-09-28 [長年日記]

_ 実家

朝起きて、お袋の作ってくれた飯を頂き、さてどうするか、と考える。

今日はバイクでどこか走りに行くつもりだった。

で、どこに走りに行くかが問題なわけだが、候補が二つ。

一つは美ヶ原経由でビーナスライン。

もう一つが、大町市。

僕が中学生の頃、親の命令で丸太小屋工房というところに一週間送り込まれた。

大町市の北、元は美麻村だった山の中(今は大町市に合併)でログビルディングの

スクールを開いていて、講師も生徒も全員テントで生活し、当時は電気もなくて

今時珍しいサバイバーな生活をしていた(後に発電機が入り、米だけは

炊飯ジャーで炊くようになっていた)。

夏は山の上でスクールをしているが、シーズンオフは各地を飛び回り、

そこら中の依頼で丸太小屋を建てているのだが、独特の技法と、やたら手の込んだ

アーティスティックな造りでファンが多いらしい。

僕はそこでログビルディングを何一つ習わず、ひたすらアウトドアライフを

エンジョイしまくった。

もしもまだ山の上にいるのなら遊びに行って泊めてもらおう、そしたら夜は宴会だ、

と思っていたんだが、電話してみたら今は神奈川の現場だそうだ。

あら、入れ違いですか。

ただ、聞かれた。

「○○(有名ハリウッド俳優)って知ってるよね?」

もちろんです。

「彼がね、僕のログハウス見て気に入っちゃって、来年から半年かけて向こうで

作ることになったんだよ」

うわ、すごいじゃないですか。

「まだ英語しゃべれるよね?」

たぶん。

僕、遊びに行きますよ。

「え、スタッフとして参加しないの?」

ぼばぶーっ(吹いた)

いや、実に楽しそうで是非参加したいですが、僕、英語しゃべれても

チェーンソウの使い方知りませんよ。

出来るんだろうか?

うわー、すげー行きてー。

半年コンピューター業界離れるってすごく魅力的だなあ。

_ ツーリング

で、丸太小屋工房の方々が山の上にいないのがわかったので目的地は

美ヶ原に決定した。

バイクのトランクに荷物を詰め込み、出発。

ガソリンスタンドで燃料を補給し、浅間温泉を通り抜け、美須々湖に向かう

つづら折りの坂に入る。

僕が学生の頃は、この坂を何度も自転車で上ったが、それを十数年後バイクで

上りながら思う。

「昔の俺、アホじゃねえか?」

こんな急坂、自分の体力だけでよく上るよな。

すごいわ。

美須々湖で湖畔でちょっとぼんやりするが、そんな面白い場所でもないんで

さっさと通過。

元は有料道路だったエリアに入る。

無料になってから走り屋が増えてしまっている、とは聞いていたが、

本当にタイヤの跡だらけだ。

こんな自然が綺麗なところでやらなくてもいいのに。

快調に坂を上っていくと次第に気温が下がってきた。

寒い。

ガスがかかってきて視界も悪くなってきた。9月末でもうこの寒さか。

一回登り切ったところで視界が開け、少し下るのだが、その下りきったところに

駒越林道という未舗装の道がある。

学生の頃はここまでマウンテンバイクで上ってきて、駒越林道を下るのが

定番だった。

なかなか面白いダートで、けっこう派手にすっころんで痛い目見たことも

何度かあり、思い出深い(血まみれになったことも)。

ところが入り口が閉鎖されて通行禁止になっていた。

道が崩落したけど直す予算が無いとかか?

少し寂しい。

数キロ上ると終点で、売店があり、道があるが一般車両は通行止めで、

山頂までは歩くしかない。

当初そこまで行くつもりも無かったのでどうしようか迷ったが、どうせ暇なので

上まで歩いてみることにした。

ガレた道を歩く。

すぐに息が切れ始める。

山道歩くの何年ぶりかな。

何日か天気が良かったおかげで道も乾いていて、山歩きなんて全く考えてない

革スニーカーでもちゃんと歩けて良かった。

登山道は誰が積んだか石の塔がいくつも立っていて、うら寂しい感じ。

自分が砂利を踏みしめる音しか聞こえない、しんとした空間だ。

しばらく歩くと景色が開け、山頂の王が頭が見えた。

広い野原に、松本エリアをカバーする放送アンテナが並んでいくつも立っている。

のどが渇いたので、ホテルに入り食堂で高原牛乳を飲んだ。

近くの牧場で取れた物だろうか。

しばらくそこらを散歩してぼんやりする。

風が冷たい。

美しの塔まで歩こうかと思ったが、片道40分かかるそうでパス。

そこから、景色が良いという王が鼻へ歩いて移動した。

途中まで舗装路で、そこから先が砂利道、さらにその先が登山道だった。

王が鼻はなんて言うのか知らないけど、厚さ数センチの板状の岩が

重なったような地層で、風化してぼろぼろ崩れてる。

岩に座って、下界を眺める。

ガスが上ってきていて、街はあまり見えないが、三白牧場が見下ろせた。

林野庁のおじさん二人組が現れたので挨拶したら、高山植物の説明をしてくれた。

岩と岩のわずかな隙間に溜まった土に高山植物が生えている。

思い出したように野鳥の声が聞こえる。

下界の喧噪から超然とした空間だ。

こういう落ち着いた静寂は、都会で味わうことはなかった。

しばらく座って静寂を満喫してから、引き返した。

バイクを止めた駐車場まではまた歩いて20分ほど。

結局、美ヶ原高原には1時間半ほど滞在した。

坂を下り、今度は松本から美ヶ原の反対側に降りるがかなり寒い。

降りたら、今度はビーナスラインで美ヶ原を上り始めた。

カーブが50個あり、快調にかっ飛ばして上るが、途中で寒くなって

カッパを着て防寒にした。

上まで着いてげんなりする。

フジテレビの美ヶ原高原美術館というのがあって、野外にアホタレな

アート作品がゴロゴロ転がってるのだが、僕の感性には酷く醜悪に思えた。

こんなの、街の中でやれよ。

なんでこれを高原の、それだけで価値のある空間でやらなきゃならないのか?

オブジェ群がどれだけの価値のある物か知らないが、ここにこれがあるのは

懐石料理にマヨネーズをかけるような感覚だと思う。

だから素通りした。

高原の道をかっ飛ばし、和田峠まで行って松本へ下る。

随分腹が減ってきて、適当にどこかで食べようと思ったが、なかなか

それっぽい場所が見あたらない。

山城のキャンプ場でソフトクリームを食うが、足りない。

分かれ道があり、片方は新しい綺麗な道だが、もう片方は荒れた急勾配の道だった。

荒れた方に手打ち蕎麦があるというので行ってみたら、営業時間が終わってて

しまってた。

泣いた。

もう仕方ないのでとりあえず下り切っちゃって、美ヶ原温泉に向かった。

昔、親父に連れられて行った蕎麦屋があるはずだが、これまた営業時間外で

しまってた。

仕方ないから風呂にはいることにした。

白糸の湯という温泉で、昔と比べると随分綺麗な建物に建て替わっていた。

自転車置き場にバイクを突っ込んだら、隣に自転車をとめていたおばさんに

「大きいバイクねえ。

何ccなの?」

と聞かれた。

そこから話が始まって、来週美ヶ原に登山するなんて話を聞いた。

風呂はなかなかいい感じ。

広くて綺麗で、しかも掛け流し。

山の走りで冷えた体を暖めることが出来た。

風呂から出て、受付の人に「ここら辺になんか食べられるところ無いですか?」

と聞いてみたが、さっき閉まってた店と、ちょっと高い寿司屋しかなく、

しかもその寿司屋も閉まってたので、市内に出ちゃった方が早いというのが

判明しただけだった。

とりあえず浅間温泉へ移動。

そういや、ここに昔つきあってた女性と行った喫茶店あったな、けっこう飯が

うまかったっけ、と思い出し、行ってみることにした。

思い出の綺麗な部分だが、ついでになんかろくでもない物も思い出して

ちょっと泣きたくなったが、幸か不幸か定休日だった。

飯が食えない呪いでもかかってるんじゃないだろうか。

市内中心部に移動し、知ってる蕎麦屋に入った。

店先にバイクを駐めて入ったら、中で蕎麦を食べていたおじさんに声をかけられた。

「大きいバイクだねえ。

何cc?」

そういや田舎の人って気楽に声かけてくるんだな、と思い出した。

蕎麦を食いつつちょっと話した。

「高級車が入ってきたよって話してたんだよ」

「いや、全然ですよ。

もっといいのいっぱいありますし」

きのこ蕎麦を食べて帰宅。

疲れて晩飯まで寝てた。